第9章 西方拡大

モーゼル川(Die Mosel)流域にも勢力を広げていく。
途中、大きめの都市のCochem、Wittlichに街を設置した。

しかし、Trierの西は極気候に包まれていた。ここを地形変更ツールでなんとかする。


困難を極めたが、なんとか同定した。
Diedenhofen(仏:Thionville)とMetzを誘致。

一応だが、(政治的意図はないものの)エルザス=ロートリンゲン(Elsaß-Lothringen、仏:Alsace-Lorraine(アルザス=ロレーヌ))地域に関しては、地名をドイツ語表記にする方針で行く。

ワインを集積しているKitzingenだが、あまりにも滞留量が多すぎて一方面しか流せないことがしばしば。

そのため、物量を増やすことで波状攻撃をしていく。


後は駅の容量を貨物輸送より気持ち少なめにすると、ちょうどよく全方面へ輸送できるようになってくれます。


1825年、新型車両「Postwagenkutsche」が登場。これは従来の馬(Vierergespann:馬三頭)に牽引してもらうタイプ。
輸送量は郵便10個から20個に倍増。多いけど船に比べれば「で?」って感じではある。

あと市道がちょっと進化したらしい。今までは土の道だったのが砂利道に進化した。スピードも気持ちアップ。
ところで、市道(Straßenbahn)の車庫はなぜかこの時代から存在するんですね。

その後も混雑の対応などを続け、1827年を迎えるのであった…。


大量発車した際の行列具合。
リンクの画像に使えそう

第一編まとめ

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