第5章 RMD流域の一体化


1808年、ついに旅客路線網がルール(Ruhr)地帯の中心地、Ruhrortまで到達。


そして停車駅の図表がこちら。
ライン川とマイン川の分岐点であるWiesbadenで系統分断され、各駅停車はさらに細かく分断されている。
それ以外にもKölnやNürnberg等の大きい町には市内便の運航がされている。

さらにドナウ川上流やライン川上流にも路線網を広げていく。

このマップ、ところどころ川が繋がっていない場所があったりするので、適宜修正していく。


さて、路線網の拡張は順調なのだが、いかんせん輸送量不足で混雑が慢性化している。



旅客帆船のSchoner(≒英:Schooner、スクーナー)は60名、郵便帆船のPostsegelschiffは110個と、やはり物足りない。スピードも旅客帆船が22km/h、郵便帆船が28km/h。もちろん陸送よりは早いが。

貨物に至っては、馬(Pferd、複数形Pferde)を複数頭用いて、バージ(Schleppkahn、複数形Schleppkähne)を複数詰むことである程度の大量輸送は可能だ。しかし速度は15km/h。

そもそも河川の最高速度が、概ね5km/h~18km/h、高くても28km/h。専用運河なら15km/h。なぜかゲーム開始時に敷かれている河川は(上書きされない限り)20km/h~28km/hと高く設定されているが。川幅の広い海マスになっているエリアであれば制限速度は関係ないのだが。

編成数も10年前の324編成から1809年で3倍以上の1000編成を突破した。
まあこのゲーム、A列車などとは違って編成数の制限はないのでええんだが、道路だと増やしたところで詰まるだけというケースも多い。そして、輸送実績の増加量に比べれば、十分と言えるのだが。

ただ、この制約の時代を超えてこそ、後の時代の発明品がより素晴らしく見えるのかもしれない、のだろう。


そんなこんなで、旅客網はついにザーレ川(Die Saale)流域にまで進出。
ザーレ川上流のHofという街で系統分断し、Hofからはマイン=ドナウ川航路を経て、交通の要衝Kelheimまで運航する。

…そういえば、1800年代(ゼロ年代)のこの時期はちょうどナポレオン戦争の時期か。まあゲームでは特に関係ないけど。

第6章 渋滞時代

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